小麦粉(こむぎこ)を水で練ったきじで、豚肉(ぶたにく)を中心にした具をつつんで、むした、日本でもおなじみの食べ物です。起源(きげん)は中国の三国時代(さんごくじだい)で、有名な軍師(ぐんし)の諸葛孔明(しょかつこうめい)が考え出したという伝説(でんせつ)があります。
中国では、甘(あま)いあんや、肉あんの入ったものを包子(パオズ)、あんの入っていないものを、饅頭(まんとう)といって区別(くべつ)しています。
中国の歴史書(れきししょ)や詩などから、中国の食べものについて知ることができます。
漢(かん)代から唐(とう)代にかけて、都の長安にはシルクロードを通って、小麦を食べる文化やさまざまな食材(しょくざい)が伝(つた)わり、洋風の食事が流行していました。長安では、パンやまんじゅうなどの小麦製品(せいひん)が主食となっていました。
西域(せいいき)から入ってきた、きゅうり、ほうれん草、うまごやし、ちしゃ、えんどう、ぶどう、くるみなども好(この)んで食べられました。
多くの香辛料(こうしんりょう)も伝わり、遊牧民(ゆうぼくみん)の好んだ羊肉も食べられていました。
以前インドから伝わってきた胡椒(こしょう)やにんにくなど香辛料も、さかんにり用されるようになっていました。
当時の長安は国際的(こくさいてき)な大都市となり、イランから来た美女がサービスするレストランなどもありました。
めずらしいガラス製(せい)のコップでワインが飲まれ、貴族(きぞく)たちは豪華(ごうか)な食生活を楽しんでいたようです。
600年代半ばまで朝鮮(ちょうせん)半島は、高句麗(こうくり)・百済(くだら)・新羅(しらぎ)の3つの国に分かれていました。新羅が、唐(とう)の助けをかりて統一しました。そのころに、三国と唐の食生活がまざり合った新しい食習慣(しょくしゅうかん)ができました。 また、外国との交流もさかんになり、シルクロードや中国から、たくさんの作物が伝わり、農業がはったつしました。
主食として、上流階級はお米を、庶民(しょみん)はアワや麦を食べていました。
野菜(やさい)は、ちしゃ、大根、山芋(やまいも)などが食べられていましたが、せり、きゅうりなどが、この時代に新しく加(くわ)わりました。
木の実、果物(くだもの)としては、栗(くり)、まつの実、すもも、梨(なし)、みかんが食べられていました。
酒、しょう油、つけ物などの発酵(はっこう)食品もよく作られていました。赤唐辛子(あかとうがらし)を使った有名なキムチが作り始められるのは、今から300年ほど前の1600〜1700年代のころからです。当時は、しおづけの野菜といったものでした。