奈良(なら)時代は、三人の女性が、四代約27年間、天皇(てんのう)の位(くらい)につき、政治(せいじ)をおこないました。元明(げんめい)、元正(げんしょう)、孝謙(こうけん)、称徳(しょうとく)が女帝です。称徳天皇は、孝謙天皇がふたたび即位(そくい)した天皇です。
元明天皇は、平城遷都(へいじょうせんと)をおこない、『古事記(こじき)』『風土記(ふどき)』の編集(へんしゅう)を命じました。
光明皇后は、夫(おっと)の聖武(しょうむ)天皇の体がよわかったので、代わりに政治の実権(じっけん)をにぎりました。まずしい人を治療(ちりょう)する施薬院(せやくいん)、みなしごをあつめて育てる悲田院(ひでんいん)などをつくり、人々の支持をえました。
孝謙天皇は、光明皇后の意向(いこう)によって、聖武天皇から位をゆずられ、即位(そくい)しましたが、母である光明皇后が実権(じっけん)を持ちつづけました。孝謙天皇のときに、大仏の開眼供養(かいげんくよう)がおこなわれました。
孝謙天皇は、いったん母である光明皇后の看病(かんびょう)のために淳仁(じゅんにん)天皇に位をゆずりますが、光明皇后がなくなると、実権をにぎるようになります。淳仁天皇を追放し、称徳天皇として再び政治をおこないます。