遣唐使(平城京)

▼遣唐使(けんとうし)
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日本から運んだもの

税(ぜい)の中から選ばれた質(しつ)のよいめずらしい品物

日本から唐への朝貢品

日本から唐(とう)へは、朝貢品(ちょうこうひん・国のおくり物)として、税(ぜい)の中から選ばれた、質(しつ)のよいめずらしいものが、おくられました。また新羅(しらぎ)、渤海(ぼっかい)などの国とも、めずらしいものの交換(こうかん)がおこなわれました。


〈おもなもの〉

文房具(ぶんぼうぐ):筆、墨(すみ)、
刀子(とうす)[小さな刃物(はもの)]

刀子

平城京(へいじょうきょう)の時代、紙は貴重品(きちょうひん)でした。ですから人々は、うすくけずった木に文字を書きました。書きまちがったとき、墨は消すことができません。そこで、カッターナイフのような小さな刀を、役人はいつも持っていました。そして、書きまちがったところをけずって書き直しました。

これらは中国へのお土産(みやげ)として持って行ったのではなく、役人が自分で使うために持っていった品物のようです。


絹製品(きぬせいひん):布(ぬの)、綿(わた)、糸

絹製品

質(しつ)のよい布として有名だった、岐阜県(ぎふけん)の布や、富山県(とやまけん)の特産品(とくさんひん)だった綿は、たくさん中国に持っていかれました。糸は、中国で皇帝(こうてい)が着る色と決められていた、黄色だけを持っていきました。


布(ぬの):麻(あさ)や木綿(もめん)

麻 「麻(あさ)」

中国の皇帝(こうてい)へのお土産(みやげ)に持っていった布は、とても質(しつ)のよいものでした。特(とく)に質のいい麻布は、千葉県(ちばけん)で作ったものでした。平城京(へいじょうきょう)の時代には、お金の代わりとして、布が使われることもあったため、中国には、たくさんの布を持って行く必要(ひつよう)がありました。木綿の布は、熊本県(くまもとけん)からも奈良に集められ、中国へのお土産にされました。


銀壺 「銀壺」

日本で最初に銀が取れるようになったのは、674年、天武天皇(てんむてんのう)が政治(せいじ)を行っているときでした。銀が取れたのは対馬(つしま)だったことも記録(きろく)にのこっています。中国の皇帝(こうてい)へのお土産には、1回に銀が21kgも持っていかれました。それは、現在(げんざい)では700万円分の価値(かち)になりますが、当時は銀がまだめずらしいものだったので、もっと高い価値がありました。


水晶(すいしょう):レンズや玉

水晶

平城京(へいじょうきょう)の時代の水晶を加工(かこう)する技術(ぎじゅつ)は、とても高かったようです。この時代より800年後になっても、日本の水晶を加工する技術は世界一といわれていました。加工するのは、地方ではなく平城京の近くで行われることが多かったようです。

レンズは、物を拡大(かくだい)して見るのにも使えるかざりです。玉は、仏(ほとけ)をおがむときに使う数珠(じゅず)や、かざりに使われました。


出火鉄(しゅっかてつ)[火打石(ひうちいし)のこと]

火打石

火打石は、石どうしを打って火を出すことができる道具です。明治時代まで日本でも使われていました。しかし、平城京(へいじょうきょう)の時代に、中国にお土産(みやげ)として持って行かれた「出火鉄」は、火を出すことが目的(もくてき)ではありませんでした。かたい石なので、数珠(じゅず)に加工(かこう)したり、模様(もよう)をほってかざりにしたのではないかと考えられています。


黄金(こがね)

黄金

黄金が中国へのお土産(みやげ)になるのは、700年代からです。それまではお土産として持っていくことはありませんでした。ただし、卑弥呼(ひみこ)の時代にも中国へ黄金をお土産におくったことが分かっているので、黄金が取れなかったわけではないようです。奈良時代(ならじだい)に黄金を平城京(へいじょうきょう)におさめていたのは、栃木県(とちぎけん)や宮城県(みやぎけん)などでした。


紙:雁皮紙(がんぴし)など、日本で独自(どくじ)で作られたもの

雁皮紙

雁皮はジンチョウゲ科の植物です。平城京(へいじょうきょう)の時代には、斐紙(ひし)もしくは肥紙(ひし)と呼ばれ、その美しさから紙の王とも言われました。

日本での紙作りは、岡山県(おかやまけん)、島根県(しまねけん)、兵庫県(ひょうごけん)、岐阜県(ぎふけん)、石川県(いしかわけん)で行われていました。作られた紙は、奈良(なら)に集められていました。30年後、紙がたくさん使われるようになると、ほとんどの県で紙が作られるようになりました。たくさん作らなければならないほど、平城京の時代の紙は重要(じゅうよう)でした。


瑠璃(るり)・瑪瑙(めのう)

瑠璃は自然(しぜん)にできたガラスのようなもので、これをみがいて形をととのえ、かざりとして使いました。奈良時代(ならじだい)には、日本でも作られていて、とくに島根県(しまねけん)には工房(こうぼう)があったようです。瑪瑙は北陸(ほくりく)や山陰地方(さんいんちほう)で取れる宝石(ほうせき)です。日本の瑪瑙は質(しつ)がよいことで、中国でもとても評判(ひょうばん)だったそうです。みがくと、うすい緑色、赤茶色などになる石で、古墳時代(こふんじだい)にはマガ玉として使われました。


真珠(しんじゅ)

真珠

平城京(へいじょうきょう)の時代には、今のように人工の真珠を作ることはできませんでした。ですが、多くの真珠が、中国にお土産(みやげ)として運ばれていました。このことから、日本では昔から、海にもぐって真珠や海産物(かいさんぶつ)を取る海女(あま)が活躍(かつやく)していたことが分かります。現在(げんざい)三重県(みえけん)では真珠養殖(ようしょく)がさかんですが、平城京の時代にも、三重県ではたくさんの真珠が取れました。


海石榴(つばき)油

つばき油 つばき油
つばき 椿の花

つばきは、あたたかい国で多く見られる木です。ですから、日本の気候(きこう)にはとても適(てき)しています。

つばき油は、かみの毛を整えるために使われました。今のムースやワックスのようなものです。昔の人もおしゃれには気をつかったのでしょう。鳥取県(とっとりけん)、長崎県(ながさきけん)などで作られていたことがわかっています。


甘葛汁(あまづらのしる)

あまちゃづる、つたの茎(くき)や葉をしぼると取れる汁で、甘(あま)い味がするシロップです。平安時代にはカキ氷の上にかけて食べました。それ以前(いぜん)にも、小麦粉(こむぎこ)を練(ね)って作ったお菓子にかけて食べていたようです。


金漆(こしあぶら)

こしあぶらは木から取れる樹液(じゅえき)の一種で、鉄でできた武器(ぶき)などにぬると、さびを防ぐことができました。あたたかい気候(きこう)の日本で多く取れるものでした。平城京(へいじょうきょう)の時代には、岐阜県(ぎふけん)、香川県(かがわけん)、長崎県(ながさきけん)でたくさん作られていました。