遣唐使(平城京)

▼遣唐使(けんとうし)
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遣唐使(けんとうし)の旅

命がけの旅

遣唐使イメージ

進んだ唐(とう)の文化を学び、それを持ちかえるために、なんども遣唐使がはけんされました。遣唐使たちは、外交官(がいこうかん)としての役わりもはたしていました。遣唐使の役人いがいにも、たくさんの留学生(りゅうがくせい)や留学僧(りゅうがくそう)が、唐にわたり、先生についてせんもんの学問や仏教を学びました。そして、えりすぐった品々や書籍(しょせき)、経典(きょうてん)などを集めて、日本に持ち帰りました。

遣唐使は、難波津(なにわづ)から船に乗って、はるばる唐の国に向いました。遣唐使の旅は、安全に海を航海(こうかい)する技術(ぎじゅつ)が、まだ、進んでいなかったため、そうなんも多く、きけんで、こんなんなものでした。 また、たとえ生きのびて帰ることができても、なにも持ち帰ることができなければ罪(つみ)になり、たいへんきびしいものでした。 そのため、遣唐使に命じられた役人の中には、仮病(けびょう)といつわって、出発をおくらせようとした者もいました。

回数 遣唐使 説明
1 630年 犬上御田鍬、薬師恵日 2年後に唐の使節に送られて帰国
2 653年 吉土長丹、高田根麻呂ら 行きの航路の途中、薩摩竹島付近で遭難
3 654年 高向玄理、河辺麻呂ら 1年後帰国。高向玄理は唐で亡くなる
4 659年 坂合部石布、津守吉祥 第1船は行きの航海で島に漂着し殺される。第2船のみ2年後に帰国
5 664年   劉仁軌とともに唐・高宗の泰山封禅の儀式に参加した
6 665年 守部大石、坂合部石積ら 2年後、唐の僧を連れて帰国
7 667年 伊吉博徳、笠諸石 唐からの使い司馬法聡を百済まで送り返すため
1年後帰国
8 669年 河内鯨  
9 702年 粟田真人、坂合部大分ら 2年後帰国
10 717年 多治比県守、大伴山守 1年後帰国
11 733年 多治比広成、中臣名代 2年後帰国
12 746年 石上乙麻呂 派遣中止
13 752年 藤原清河、大伴古麻呂ら 1年後帰国
14 759年 高元度 遣唐使の藤原清河を迎えに行くため
2年後帰国
15 761年 仲石伴、石上宅嗣 唐からの使い沈惟岳を送り届けようとしたが、派遣中止
16 762年 中臣鷹主、高麗広山 唐からの使い沈惟岳を送り届けようとしたが、派遣中止
17 777年 小野石根、大神末足 1年後帰国
18 779年 布勢清直 唐からの使い孫興進を送り届けるため
3年後帰国
19 804年 藤原葛野麿、石川辺益 1年後帰国
20 838年 藤原常嗣 1年後帰国
21 894年 菅原道真、紀長谷雄 派遣中止