長屋王(ながやおう)やしき跡(あと)から四万点あまりの木簡(もっかん)が発見されました。木簡から、貴族(きぞく)の生活のようすがわかります。
長屋王のやしきへ、鮑(あわび)や米などの貢物(みつぎもの)が運ばれてきたこと、宮中にもいないような楽人(がくじん)、舞人(ぶじん)の名手もいたことがわかりました。長屋王は豪勢(ごうせい)な食事や宴会(えんかい)ができるほどゆたかだったようです。
長屋王は、天武天皇(てんむてんのう)の孫(まご)で左大臣(さだいじん)になり、政治に力をふるいましたが、藤原氏(ふじわらし)と対立し、死に追いやられた人物です。長屋王のやしきは、平城宮(へいじょうきゅう)のすぐそばにあり、広さは四町もありました。
平城京では、貴族や位(くらい)の高い役人ほど、平城宮の近くに住み、政府から広い土地をあたえられていました。位の低い下級役人や庶民(しょみん)は、平城宮からはなれたところにせまい土地を与えられて、住んでいました。