「人面墨書土器」
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平城京(へいじょうきょう)の人々は、自然(しぜん)災害(さいがい)をおそれ、たいへん不安(ふあん)な生活をおくっていました。作物のできは天気に左右され、たびたび飢饉(ききん)がおこり、天然痘(てんねんとう)などが大流行しました。
人々は、自分の穢(けが)れや罪(つみ)をはらうために、人形(ひとがた)や人面墨書土器(じんめんぼくしょどき)を作って、お祓(はら)いをしました。人形に罪や穢れをうつし、川や海に流したり、やいたりしました。人面墨書土器とは、自分の似顔絵(にがおえ)を土器にかいて、息を中にふき入れると、穢れが消えるというものでした。
胞衣(えな)を壺(つぼ)に入れて、建物(たてもの)の入り口近くにうめるという信仰(しんこう)がありました。胞衣とは胎児(たいじ)をつつんでいた膜(まく)と胎盤(たいばん)のことで、子どもが元気に育つようにという願いが感じられます。お金や、男の子には筆・墨(すみ)、女の子には裁縫(さいほう)道具などを、胞衣といっしょに入れることもあったようです。この胞衣壺の信仰(しんこう)は、胞衣納(えなおさ)めという儀式(ぎしき)として、最近(さいきん)までつづいていたようです。